WEBページレイアウト更新に伴って学ぶこととなった引田の偉人たちへの感謝と今後益々の売り手市場となる求人について

冬眠ならぬ夏眠から覚めたブログ筆者です。おはようございます。

 

さて、眠っている間に当社WEBページをお願いしている協力会社のA様によって、ページを新しく編集していただきました。レイアウトが一新され、以前より格段に見やすくなりましたね。

本当にありがとうございます。

webpage

 

レイアウトだけではなく、三谷船具店の生い立ちや野網和三郎氏についての情報も追加しています。

野網和三郎氏に関しては、ご本人が著者である「海を拓く安戸池」を拝読して書かせていただき、ふるさとの偉人を改めて知ることが出来ました。現在の海洋魚類養殖事業の礎となった功績は素晴らしく、昭和14年に出演した全国放送ラジオの中では「日本における沿岸漁業は、必ず近き将来において好む好まざるにかかわらず、獲る漁業からつくる漁業へ移行して行かなければならなくなるだろう。」と言及されています。その先見力と実行力には、同じ引田で生まれ、養殖に携わる仕事に身を置く者として心から誇りに思います。

 

また、野網和三郎氏の功績は、父・佐吉氏の存在なくしてあり得なかったのだとも思いました。

漁村の子で上級学校へ行く者は数える程もいなかった大正10年。和三郎氏は、三重県志摩の水産学校の入学願書を請求して手元に届くも、ふたりの兄への遠慮や世間体のことも手伝って父に容易に切り出せなかったそうですが、願書締切日が迫ってやっとの思いで父に入学願書を差し出したそうです。そこに居合わせた網屋さんの口添えもあって無事了解してもらえましたが、この水産学校に在学した中で養殖の大きなヒントを得ることになり、養殖事業に着手することとなります。この挑戦に対して安戸地域での反対が長く続く中でも佐吉氏は賛同し、安戸池で始めるに当たって必要であった高額な賃借料を援助してくれています。

 

和三郎氏と佐吉氏。

この父子の存在がなければ養殖事業は存在しなかったとまではならないでしょうが、現在の日本の水産業に遅れがあったかもしれません。養殖用生簀網を主力として仕立てる三谷船具店としては、この2人の偉人への感謝の気持ちを忘れてならないと感じる良き機会となりました。

umiwohirakuadoike

 

話はまるで変わりますが、先日サンメッセ香川にて開催された来春大学卒業予定者を対象とした企業説明会では、参画企業122社に対して学生115人しかいなかったと新聞に書いてありました。

企業の方が多いじゃないですか…。

ちなみに、昨年開催時の学生参加人数は210人であり、約45%減となります。昨年より全体の内定が早いだけかもしれませんが、売り手市場が益々強まる傾向にある中、この事実は衝撃的でした。

 

しかし、しかし、そんな求人氷河期の中、先月下旬より新しい仲間が1人増えました。東かがわ市役所内にある「ふるさと就職推進センター」からのご紹介がきっかけとなり、めでたくスムーズに入社となりました。

K君、ありがとう。

同センターからの入社は2人目です。行政から企業へ積極的に人材誘致を行う東かがわ市の取り組みは、事業内容が一般の方に理解されにくい三谷船具店としては非常に助かります。東かがわ市内の他の企業にも同様に雇用が拡がれば、このまちも少しずつ変わっていくのではないでしょうか。

そう思います。

 

最後に、本日の新聞にひけた鰤の記事が掲載されていたのでそれを貼り付けて終わりたいと思います。

shikokushinbun

 

A様、また眠っていたら起こしてくださいませ。ではッ!

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