ご挨拶
昭和36年創業。伝統を守る網屋です。
三谷船具店は、創業者である三谷修が昭和36年の10月1日に創業し、引田と鳴門(北灘)を中心にハマチ養殖用生簀網・定置網・漁業用資材を提供し始めます。まだ少ない人数ながら、互いが仕立てるスピードを競い合うように、毎日朝から晩まで休みなく網針を動かしておりました。
時代の流れと共に養殖業者は増え続け、最も多い時は引田・鳴門で120~130軒ほどに。また、小型定置網(ねずみ網)の需要が盛んになった時には、九州・四国・沖縄・山陰・和歌山・三重などから沢山のご注文を賜りました。三谷船具店は、これらの実績を積み重ねる度に、養殖発祥地の網仕立て職人として飛躍的に成長することになります。現在の主力商品である生簀網は、創業した頃はハマチ養殖用の1辺6メートルの四角形が主流でしたが、昭和40年代になると1辺9メートルや12メートルと大きくなり、他県にも普及していきます。また、当初網地はナイロン製の有結節(蛙股)網を使用しておりましたが、より耐久性に優れたポリエチレン製の無結節網に変化。さらに、養殖の変化(1年魚の育成から中間魚の育成)や、昭和47年・52年・53年に播磨灘で発生したシャットネラ赤潮による災害を経て、現在の大型生簀網への発展に至ります。昭和55年以降は、養殖する環境と養殖魚の危険分散を念頭において生簀網を仕立て、他魚種の養殖生簀大型化にも取り組み、平成16年にはマグロ養殖用の大型生簀網にも着手しております。
前代表の三谷賢曰く、昭和の赤潮被害は我が目を疑うほど凄まじく、斃死した魚の引き揚げを手伝う毎日の中、「この商売はもう駄目かもしれない」と思わせるほどの光景であったと語ります。しかし、それでも諦めることなく養殖を続ける人達がそこにはいました。現在まで三谷船具店が網を仕立て続けてこられたのは、幾度かの災害に遭いながらも漁業に精魂を傾けてきたお客様があってのこと。今後も日本の漁業発展に貢献すべく、培った技術と実績を用いて、お客様の漁場に適した生簀網を仕立てます。
ハマチの養殖事業発祥の地で根ざした会社です。
明治41年3月11日、現在の香川県東かがわ市引田の網元「まるさ」の三男として、かん水養殖事業の生みの親「野網和三郎氏」はこの世に生を受けました。今日、日本の養殖事業の発展に至るには、衰退の一途を辿っていた沿岸漁業の「獲る漁業からつくる漁業へ」と転換することに成功した野網和三郎氏の努力と功績による賜物です。また、野網和三郎氏自身「父・佐吉氏のたゆまぬ理解と援助がなければ成功できたかどうかわからなかっただろう」と述懐されています。
野網和三郎氏は、父に快諾を得て三重県志摩の水産学校に入学し、3年生の夏季休暇前に友達2人と魚釣りに出かけます。暑くなったので休憩しようと船を漕いでいる途中、小島のかげにあった3メートル四方の生簀に鰹釣り用の餌イワシが大量に游いでいるのを見つけます。よく見るとその中に小鯖が混じっていたので「これも餌に使うのか?」と聞くと、小鯖は釣っても持ち主に叱られず、ハマチの子はイワシをよく喰うので釣り上げると喜んでくれるのだと友達は答えます。「こんな狭苦しい中に入れられて、どうして餌になどつくものか?」と戸惑っていた矢先、目の前で小鯖やハマチの子が次々と吊り上げられてしまったそうです。思いもかけぬ出来事のおかげで、生きとし生けるもの、生きるためには如何なる環境であれ喰わなければならないという食欲本能を教わり、この教訓が後の養殖事業に繋がることとなります。
休暇で帰省した野網和三郎氏は、父に世界で初めて真珠養殖に成功した御木本幸吉氏の偉大な功績やハマチの子が小さな生簀の中で餌付きした話を語りました。次第に、親子は「海の魚も養殖できるのではないか」と話し合うようになります。そして、父が「あの安戸池で何とかできないか?」というと、息子は「あそこならきっとできる」と返事をしたそうです。こうして昭和2年に漁業権の免許を受けて準備を進め、昭和3年に偉大な養殖事業が着手されました。
野網和三郎氏の功績は有名ですが、父・佐吉氏による事業として採算がとれるまでの後ろ立てや、その支援によって得られた経験があったからこそ成し得た偉業であり、かん水養殖用の生簀網を仕立ている三谷船具店は、この親子への敬意と感謝を決して忘れてはなりません。
企業使命
日本の漁業発展のために
安心安全な生簀網を仕立てます
経営理念
自分に関わるすべての人を豊かにするモノづくりで
自分に最高の喜びを
基本方針
迅速且つ誠実な対応による確かな信頼の構築
培った技術を絶やさない次なる人材の育成
会社概要
社名 | 株式会社三谷船具店 |
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事業内容 |
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所在地 | 本社 大分営業所 奄美営業所 |
代表者 | 代表取締役 三谷 賢一郎 |
資本金 | 20,000,000円 |
取引銀行 | 中国銀行 |
社員数 | 29名 |
沿革
昭和36年 | 三谷修が漁業用ロープの販売から始め、屋号を三谷船具店とする |
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昭和39年 | 株式会社三谷船具店へと法人化 三谷修が代表取締役に就任 以降、西日本一帯で養殖用生簀網及び定置網の仕立販売を手掛ける |
昭和55年 | ブリやタイの養殖用大型生簀網の仕立に着手 |
平成4年 | 東かがわ市(旧大川郡)に南野工場を新設 |
平成9年 | 三谷賢が代表取締役に就任 |
平成16年 | マグロ養殖用大型生簀網の仕立に着手 |
平成22年 | 修理前の生簀網洗浄を請負開始 |
令和4年 | 三谷賢一郎が代表取締役に就任 |
アクセスマップ
本社
香川県東かがわ市引田187-1
大分営業所
大分県佐伯市弥生大字江良389